早朝、かなり降っていた雨もあがり、
神戸市内を散策してきました。
雨上がりなので諏訪山公園の方にはいかずに
相楽園のほうに向けて街中をぐるぐる回りました。
水に恵まれたこの国の人間には
色々なものに恵まれない、
イスラムの人たちを理解することはできないのではないか?
暴力は勿論肯定しないが、
今のように、自分たちの価値観を押し付け、
相手の価値観を認めようとしない国に追随することを
国際貢献という美辞で隠すことに
疑問を感じています。
イスラム国の人たちと道で出会ったら、
「おはよう」とあいさつできる世をイメージしています。
今日一日、これは光明に輝き、希望にみちみちた、またなき良き日である。
古人は言った、「万象是我師」と。まじめにこれに師事して尋ねる人には、正しく答えてくれる。
おはようございます。
神戸の震災から20年の週末をいかがお過ごしになられましたか?
僕は、震災の翌日から生活の再建に向けて動き出しましたが、
17日の朝、明るくなって悲惨な状況が見えてくるにつれて、
どうすればいいのかわからなかったとき、
父が「まず家の中から片付けよう」と言って家族全員で片付け始めたことを思い出します。
年明けてから
人間ドックに入り、軽い不調も指摘され、
昨年夏以降の商売の停滞も気になり、
など、いろんなことで心を病んでおりましたが、
昨日の日曜日の朝、
思い切ってある友人に心の内を聞いていただきました。(1時間半)
その方との話で、旧知のコーチングの先生に連絡を取り電話でコーチングを受け、(4時間半)
自分の深いところにある心の弱さに気づき、頭の中で思いを巡らせながら歩いて
近くのそば屋さんに昼食を取りに入ると、
そこに朝、相談した友人がいるではありませんか(*_*)
昼食を済ませて、喫茶店で話を聞いてもらい、(2時間)
予定していた会社の仕事はほとんど手付かずのままに一日が過ぎました。
夜、友人やコーチングの先生の話を反芻しながら整理し、
心のわがままを抑えて就寝しました。
朝方、目が覚める寸前に見た夢、そこに答えがありました。
今日からすっきり行動できそうです。
まずは、朝の散歩から始めました。
阪神間の人間にとって今日は特別な忘れられない日です。
20年たちました。
今朝は6時に目覚めましたが、
あの日、その時間は何をしていたのでしょうか?
何が起こったのかよくわからず、
状況を把握しようと家の中を見て回り、
外に出て近所の皆さんと
ああでもない、こうでもない、と話していたように思います。
今、8時になってこのブログを書いていますが、
あの日は、7時を過ぎて空が白みだしたころ、
裏の家が倒れ、隣の家も倒れ、向かいの家も倒れ、
窓から見える阪神電車の架線を支える柱が倒れ、
近くの阪神高速道路が落ち、
テレビでは仁川で山が崩れたと報じており、
宝塚駅が崩れて落ちた様子が画面に映し出され、
どうもとんでもないことが起こっていることがわかりました。
実はその日が期日の手形を切っており、
その手形を落とすために銀行に入金しないといけないのが、
銀行に行けなくて、父がひとり心労していたことを
後になって聞きました。
それをきっかけに、
手形取引を辞める決意をし、
半年後には止められたことが
今の僕が河昌を続けられている
大きな出来事だと父には感謝しています。
1月17日には書くことが多くて
今朝はこのあたりで・・
おかげさまで、今日も良い一日です。